学習時間は学力アップに比例するか

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.37 -

教育再生会議は学力低下の原因であるゆとりの教育を見直し、授業時間数を10%増やし、学力アップを図り世界最高水準の教育を達成するという。

授業時間数を増やすことが本当に学力アップにつながるのだろうか。経済開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)のトップ成績を上げているフィンランドは、日本の小中学校授業時間数と比較すると、7歳〜8歳75%▽9歳〜11歳88%▽12歳〜14歳93%でしかない。(「図表でみる教育OECDインディケータ」(2004年版)から。数値は02年度現在)

塾がなく、強制的な宿題もほとんどなく、授業時間数の少ないフィンランド教育に特別なシステムはない。あるものは学校教育の主人公は子どもたちのものであるという認識だ。どこかの国のように「センセ生徒の飯の種」という雰囲気はどこにもない。

フィンランドの教育を支えるのは、1クラス20人以下の少人数制で先生が全ての生徒に目が届くように配慮され、学力上の落ちこぼれを作らないように徹底した習熟度クラスを実施し、分からなければグループ学習、さらには個別学習を行う特別支援教育活動が行われる。日本の学校のように分からなければ、「塾に行きなさい」「家庭教師をつけなさい」と平気で言う教師と違う。そこには自分たち学校の教師が子どもたちの学力をつける専門家という気概がある。

日本のゆとり教育の目玉「総合的な学習」のような授業も多い。ただし、形態は同じようでも中身は違う。日本の学校ではお決まりの「国際理解」「環境教育」「町の地図作り」など、文科省が例示した内容を全国の学校が子どもの興味はさておきやっている。しかし、フィンランドでは子どもたちの知的好奇心に添って、一人ひとりの教師が創意工夫して複線型学習(様々な教科の混じりあった)を行っている。子どもが日常生活の中で感じた知的興味や好奇心に満ちた学習は、子どもたち一人ひとりの学習モチベーションを下げるどころかすぐに血となり肉となって身につく。

これらの学習を支えているのが信頼だ。生徒や保護者は先生を信頼し、校長は先生を信頼し、教育委員会は学校を信頼した上で総合的な学習が成り立っている。日本のようにコンセンサスを十分に取らず、上意下達的な学習では「今、なぜこんな学習するの?受験勉強には関係ない」というすれ違いが、先生、生徒、保護者それぞれにあるようだと学習効果は全く上がらない。

フィンランドの学校では先生の事務仕事を補佐する事務秘書といじめや生徒間のトラブルなどの対処する生徒指導専門の先生がいる。一方、日本の教師は報告書や指導記録などの事務仕事に追われ、さらに生徒指導が追い討ちをかける。これでは肝心の学習指導に手が十分に廻らず、つい生徒に憲法の前文の意味を十分に説明せず、丸暗記させるような安易な授業を行ってしまう。

2000年から始まったPISAの学習到達度調査は、以前の国際調査と違い詰め込まれた知識量をみるものではなく、生涯にわたって学習する能力をはかるものだ。成熟社会を迎えた日本でも、これからの子どもに求められるものは知識の詰め込みのインプットだけに終らず、子ども一人ひとりが基礎知識を消化吸収し、自己表現としてアウトプットできなければ意味がない。それを実現するには、教師の時間的・精神的なゆとりがなければ不可能だ。

文責 牟田武生