生き方探しの旅へ2部(4)
- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.20 -
先進国における若年失業者の増加問題は、文明社会の本当の豊かさが問われる問題でもある。
若者は“喰うために”や“生きるために”働くという意識は薄れ、自分が何をしたらよいか分からない。働くことって何だろう・・。社会に出る自信がない。責任をまかされても困る。など、働くこと以前の大人として生きることへの回避の気持ちに支配されている者も多い。
そのような若者を中高年者は贅沢病と思い。教育関係者は親の躾けが出来ていないと嘆き、役人はニートがこのまま増え続けると日本が危ないという。ニートの子を持つ、親はどうしたら良いか途方にくれる。
若年失業者、ひきこもり、ニートの三つ言葉の意味はそれぞれ違うが、共通点もある。だが、その言葉の持つ響きに大人達の反応には違いがある。
若年失業者10%に対して、バブル不況と経済の構造改革が若者を襲った。運が悪い。気の毒な話だ。時期がくれば、経済には波があるので、そのうち良くなるだろう。我慢が大切だと励ます。
ひきこもりに対して、困った問題だ。どうして、若者がひきこもるのかその気持ちが分らない。きっと気持ちが弱いのだ。自分でこころの殻を破って、出てこなければどうしようもないと思う。
ニートに対して、なまけだろ!親が甘やかしたからいけないのだ。無理やり働かせれば良いんだ。それがダメなら、自衛隊でも入れればよい。
様々な反応がこれらの問題を抱えない大人達から返ってくることが多い。
若年失業者の増加は、経済の問題、ひきこもりはこころの問題、ニートは怠けの問題と勝手に整理して考えている大人が多い。
目に見えるもの、働きたくても働く場がない状況の時は、大人達は当然のごとく、気の毒に思う。しかし、人との関係で不安や緊張を覚え、家族以外の人との人間関係の接触を避けているひきこもりの人の気持ちが理解できずに、病気なのではと疑ったり「この子はだめだろう」と見捨ての気持ちを感じながら、同情する不思議な感情を持ってはいないだろうか。ひきこもってはいないが、人間関係に漠然とした不安を抱え、社会に対してすくみ反応を起こし、身動きできないニートの若者を単に、なまけものと決めつけるのは無理がある。
物に満たされた成熟社会の日本で働きたくても、働く場が本当にないのだろうか?バブル時代の象徴的な言葉の3K仕事は敬遠され、自分探しの気持ちは今も若者のこころに生きている。 長引く不況の影が影響していることも事実であるが、育った環境によって若者達を支配する人間関係のスキル不足、就労意識の未熟さ、職能教育不足、子どものモデルになれない大人の存在など、若者のこころに大きな影が横たわっている。
それを理解できずに若者を責めても、ジェネレーションギャップは拡がり、問題は拗れていくような気がする。
文責 牟田武生