生き方探しの旅へ2部(2) ぼくはニート

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.18 -

 清潔で快適な住環境、家事労働を軽減させる様々な電化製品、豊富な生鮮食料品や加工冷凍食品、発達した交通網など、成熟化社会の国日本では、豊かな暮らしを充分に享受できる。
 しかし、私の目の前にいるニート青年の謙介は、社会の入り口でたじろいでいる。社会が豊かになれば、職業選択の幅が拡がり、人々の生き方も多様になるはずだ。

 勿論、70年代のイギリスのように社会経済構造そのものが古くなり、それが原因で経済活動の低迷が続き、国際経済から取り残された。当時のサッチャー首相は経済再生のために経済構造の改革を行った。その結果、単純な肉体労働は少なくなり、若年層で失業者が生まれた。様々な理由で中等以上の教育や訓練を十分に受けられなかった若者は、新たな仕事に就けず、ホームレスになった。ニートと呼ぶより失業者に近い。
 だが、謙介(18)の場合、大学教育を受ければ普通に暮らせる道も開け、そして、その能力もあるのに、自分の将来像が描けずに高校を中退してしまった。

 イギリスのニートになった若者達は社会構造から起きたので理解しやすい。しかし、謙介のようなタイプの若者は大人たちにとって、理解し難いから“怠け者”と見られやすい。
 そこで、大人達は、つい頭ごなしに「学校に行け!」「働け!」と言ってしまう。だが、多くの場合、その言葉で若者との関係性が悪化し、ひきこもりが長期化し、ますます自立の目途は立たなくなる。
 彼の場合は、学習能力について問題はないが、人間関係のスキルが充分でなく、他人との関係が引き気味であること、自然環境問題等から考えて、今の社会や企業の経済活動に疑問を感じていること、彼自身の学校教育の経験から無意味に、人と人を競争させることに意味が見出せなくなったことなどが考えられる。これらの疑問を大人の私達が、同じ目線でコミニュケーションしながら、共に考えていかずに「学校に行け!」「働け!」と言っても意味がない。

 彼はイタリアのように幼児期から人間関係が自然に出来るような養育システムや学校教育で様々なショートジョブ体験をして、職能意識や基本的な技術を身に付け、自然と自分に合った職業に付く社会システムがあれば良かったのにと思っている。
 彼のようなタイプは70年代イギリス社会が作り出した、過ってのニート問題とは質が違う。日本の成熟社会と子が親に寄生する文化が生んだ、新たなニート問題なのかもしれない。

 「先生、親は働くか、学校に行くかどちらかにしろって言うのです。高卒検は受けるつもりですが、大学は行くつもりはあまりありません。けれども、働くっていっても実感が余り持てないのです。どうしたら良いでしょう?」
 「日本の大学でも、高校と違って自由だし、楽しいぞ。専門を決めずに教養課程で色々な勉強を二年間して、それから専門を決めても良い大学もあるし、そんなに先のことを考えて頭デッカチにならずに、その時の流れに乗って行けば良いと思うけれど、人間関係に自信が持てないから、それが出来ないのかなぁ。だから、不安だけを先取りして色々なことを考えてしまうのかなぁ?」

 「多分そうだと思います。頭の中では大学に行くのが、一番楽な道だと分かっています。しかし、大学を卒業しても人間関係に自信が持てないから、会社に就職しても、続かない気がするのです。だから、前にもお話したように何処か田舎にでも行って、自給自足のような暮らしをした方が良いのではないかと思うのです。そうすれば、人には迷惑を掛けないし、良いと思うのですが、でも、そんな暮らしの技術というか、例えば、農家の手伝い、道路工事のアルバイト仕事とか、体力も知識も僕にはありません。だからといって、大学を選ぶのも変でしょ?」

文責 牟田武生