生き方探しの旅へ(2)~イタリアの自由教育 

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.15 -

 イタリアへの旅の目的は、謙介(仮名17歳)の質問に対する答を出すためであった。
しかし、多くのひきこもりやニートの若者達にひとりの大人として夢や希望を持ち、社会で生きる喜びを伝えるにはどうしたら良いのかを探す、私、自身にとっても、これからの生き方探しの旅でもあった。

イタリア行きの飛行機の中でも考えていた。「ニート・ひきこもり・不登校などの問題の本質的な解決策」「若者達の就労問題」など、これらの問題の共通点は人間関係のスキル不足からくる、現代社会の生き難くさかもしれない。

 社会環境の大きな変化によって若者達を取り巻く様々な社会問題を政治家は、単純に地域の活性化によって解決しようと考えている。しかし、地縁・血縁関係が崩壊している都市部では、はたしてそれでうまくいくのか。例え、税金を使って仕組みや箱ものを作っても、地域独自の経済活動や人と人を結びつける関係性がないと不可能だと、私には思える。

 イタリアでは就学前教育(3歳から5歳)を目的とした保育学校がある。就学は任意であるが、90%以上の子どもが週5~6日、1日8時間の保育に行く。そして、多くの保育学校で行われているのがモンテッソーリ教育だ。この教育の目的は、子どもの一人ひとりの発達段階に応じて適切に援助することによって「自立した、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学ぶ姿勢を持った人間に育てる」こととしている。

 ローマにある保育学校を尋ねると、子ども達が自分で選んだ教材に熱心に取組んでいる。絵を書く子、人参をナイフで切る子、ボタン付けをする子、掃除をする子、自発的に心と身体を動かし、みんな集中して作業をしている。モンテッソーリが言ったように「手は心の道具」になっている。さらに、よく観察をすると、ひとり一人違ったことをやっているが、子ども達同士のコミュニケーションが取れていて、一つの共同作業になっている。先生に尋ねると、意図したものではなく、環境を整えてやれば自然にそうなるという。その環境について尋ねると、次のような答えが帰ってきた。

1、 子どもが自分の意思で自由に選べる生活教具を用意する。
2、 発達段階に応じた子どもの好奇心をそそるおもしろそうな教具を用意する。
3、 3歳の年齢幅を持つ異年齢混合クラスによって、社会的、知的好奇心を促す。
4、 子どもの五感を使い、自己形成を促すような援助指導を教師が行う。

 環境を整えることによって、子どもは、自由に選ぶ→繰り返す→集中する→充実感や達成感を獲得し、自立心を付けていくという。モンテッソーリ教育は小学校前期(2年間)までその考えを取り入れて行われる。しかし、子どもの教育の主は家庭教育にあり、学校教育は補いに過ぎないという。小学校後期(3年間)では週30日時間の学習が行われる。学校によって5日制あるいは6日制で行われる。

 北部の町ベローナのある公立の小学校を訪ねた。この学校は朝7時30分から始まり、6時間授業で1時過ぎに終わる。その後、午後のクラスが始まり6時半まで行われる。先生は二交代制、勤務時間が短いので給与は少ない。他に専門的な仕事を持ちほとんどの人が働いているという。この小学校の教師のソフィーナさん(32)は皮革工芸のデザイナーでもある。英語と音楽以外は教える。「教師の仕事も好き、デザイナーも好き。子ども達の感性を作品に生かせるし、子どもに伝統産業である皮革工芸について教えることもできる」と言う。

 パン職人のラウルさん(38)は午後から教職に立つ「パン作りやピザの下地についても教えるし、パンの歴史、小麦の良し悪し、何でも教材になるよ。子ども達は自然に先生の職業意識を学び、自分の好きな仕事を探すことができるから良いよ」と言う。

 ソフィーナ先生のクラスのマリア(11)は帰宅した。自宅では看護士の母が病院から帰り、昼食作りをしていた。設計士の父親も帰宅し三人で賑やかで楽しい昼食が始まった。たっぷり二時間かけて食事をして、両親は仕事に戻った。入れ替わりにやってきたのが、マリアのベビーシッター(マリアはベビーではないが)中学生のヘレン(13)だった。
 マリアはヘレンと遊んだり、勉強したり、おやつを食べて、両親の帰宅する8時ごろまで過ごす。イタリアでは11歳以下(小学生)が一人で家にいることは、親の養育拒否になり、罰金が科せられる。ヘレンにとってはアルバイト(州政府が負担金を出しているらしい)であり、子育て勉強でもある。マリアにとっては良いお姉さん。マリアは「早く、中学生になって私もベビーシッターしたい」と言う。

 両親が8時前に帰宅し、近所の人が一品料理をそれぞれ持ち寄りワインとともに楽しい夕食が始まる。「人生は食べて飲んで話をしたり、歌を歌い、楽しむためにある」と、口々に集まった近所の人達はと言う。

 イタリア人は陽気で、人付き合いが上手なのはラテン系の性格だとばかり思っていた私だが、家庭教育を含めて、学校教育、社会教育があるからだ。子ども達は先生や他の人の話をよく聞き、自分の考えをまとめ、それを他の人に分かるように話す、口述力には驚かされる。そこで、初めて個人の自由な意見が最大限に保障されている教育であることがわかってきた。イタリアの不登校の発生率が0.8%と推定されることが実感できた。

 

文責 牟田武生