ネット心中の心理

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.10 -

 リストカッター、摂食障害、ひきこもりの人…。
それぞれ孤独な人々がインターネットの掲示板やサイトを利用して、自分の心の底にある思いや苦しみを詩や日記など、さまざまな形で表現している。

 自分の心の奥底にある感情を吐き出すように表現することによって、気持ちが落ち着けるのかもしれない。そして、自分の書いたものに、知らない人からレスポンスがあり、返信内容によって、励まされたり、慰められたりするのかもしれない。ネットによって孤独感が癒され、「ひとりぼっちなのは、自分だけではない」と思えてくるのだろうか。

 しかし、私にとって気になるのは若者たちの自殺志願の書き込みだ。

 「誰か私と一緒に、練炭で逝ってくれませんか」の書き込みに応じた人に、時、場所、方法がメールで伝えられる。失恋自殺以外は、異性にかかわらず誰でもよいらしい。知らないもの同士が、人里離れた山中に行き、用意周到に目張りをした車中で練炭を燃やし心中する。

 一人では死ねない心理はどこからくるのか。

 ひと昔前は、風光明媚な場所で人に知られずに亡くなっていった。
現実社会の煩悩をあの世に持ち込まず、遺体になっても他人の手を煩わさないように心配りし、この世に別れを告げる美学があった。

 そのような感情はネット心中を見る限りない。見知らぬ他人と一緒に死を向かえ、最後まで、見知らぬ誰かにメールで別れを告げ、この世に未練を残し、知らない者同士が心中していく心理は一体何を意味しているのか。

 情報化社会になる以前は、ネット心中にみられるような現象はなかった。
無論、まだネットが普及していない社会では、誰か一緒に心中してくれる人を募るなどと言うことも不可能であった。だから、そんなこと出来なかったと言われれば、それまでだが‥‥。

 亡くなったほとんどの若者には、病苦、生活苦、多額の借金、と言った具体的な動機は見当たらず、現実社会で生きぬくために格闘した痕跡も残さず、ひたすら私的生活を愛し、唐突にこの世に別れを告げていったように見える。

 自分探しをしても本当に自分が何をしたいのかわからず、本音で話せる友もなく、他人に会うと過剰な振る舞いをして疲れ果て、人と別れると心の中でほっとする。

 そんな若者達に、無責任に大人は「やりたい事がやれる時代に生まれた君たちは幸せもの」と言うが‥‥。

 『自己実現』と言う言葉が、妙に重くのしかかる時に、見知らぬメル友から「死にたい」「逝きたい」「心中したい」と告げられた時‥‥。

 自我の確立が遅く、現実社会にどう根を張って生きていったらわからず、宗教観がなく、死の意味の実感が持てない孤独な日本の若者たちにとって、会ったこともないメル友からの死への誘いに、自分のこころの中にある現実社会の生き難さが共鳴し、揺り動かされる心理があるのかもしれない。

文責 牟田武生