インターネットゲーム 仮想社会は居心地が良いが・・・
- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.2 -
悪魔の心理とは強者が無抵抗で害を与える恐れのない者に対して攻撃する心理をさす。
狩猟採集時代は生きるために同様な行為をしたが地位を上げるためではなかった。
レベルを上げるために仮想社会の中で弱者いじめの疑似体験を繰り返し行うと、仮想と現実の区別が不明確になった心理状態の時、現実社会で問題行動が起きる可能性が高い。
私のキャラはようやく初心者から職に就けるレベルになった。
しかし、指示された神父に会わなければ、聖職者になれないという試練が与えられた。
神父がどこにいるのか、どうしたら会えるのか、皆目検討がつかない。
そうだ!チャットを使って、他のキャラに尋ねれば良いのだ!
でも、声がけのタイミングがわからない。現実生活では道を尋ねる時など、相手の表情や行動で言葉をかけるタイミングをつかむが、表情がないキャラでは読み取りようもない。防護マスクをしているキャラもいる。
勇気を出して他のキャラに声をかける。
「あのー」他のキャラは聞こえているのかいないのかみんな通り過ぎて行く。
「すいません!」
「どうしたの?」
やっと返事が返ってきた。でも、次の言葉がでない。
冷汗をかきながらチャットを続けていくと、とんでもないことに気づかされた。
わからないことを私のキャラが見ず知らずのキャラに尋ねると、相手にとってはトンチンカンなことも親切に教えてくれる。場所を尋ねると連れて行ってくれたり、使わない武器や防具のアイテムをくれたりもする。
ゲームの仮想社会では、みんな思いやりと優しさにあふれたキャラ関係を築いている。
ストレスが多い現実社会では「さわやか」「さっぱり」の人間関係が好まれる。そのような味気ない社会に対するアンチテーゼとも思えてくる。
自分より弱いモンスターを叩き潰す心理と仲間への優しさと思いやりの心理が何の矛盾もなく共存するのは何故だろうか。
おそらくモンスター達は完全な悪であり無条件に潰す存在と認識しているのだろう。
一方、仮想社会の生活ではキャラ達が心地の良い社会を作っている。
この居心地の良さがひきこもった子ども達のネット依存の要因の一つではないかとさえ思えてくる。
“完全懲悪の世界”流行の先駆けともいえるネットゲームファンの若者達の心理は水戸黄門ファンと本質的には変わらない。 そう思うのは私の老婆心ならぬ老爺心なのかもしれない。
文責 牟田武生