人はなぜ家族を殺すのか?

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.36 -

 板橋・奈良と続いた少年による家族放火殺人事件。東京で起きた兄による妹殺害及び夫殺害事件に共通することは、放火や切断遺体など死体損壊を伴い、加害者はいずれも犯罪歴の全くない、どちらかというと真面目な高校生、浪人生、主婦だった。

 家族は世間から受ける荒波や努力の結果としての幸福を享受する共同体でもある。共同体は愛で結ばれ、世間の荒波の防波堤としての役割と家族の癒しとして機能し、子どもを産み育んでいく場でもある。

 家族は信頼と愛の上で成立している。今まで日本の家族は子どもの自立が少々遅れても身内で庇い合う甘さを持っていた。欧米人は日本独特のこの甘さが、ひきこもりやニートの若者を作り出す温床と指摘するが、反面、家族に身内を庇う機能は「おとうさんやお母さんを苦しませてはならない」という意識から、青少年の犯罪の抑止力として機能した。世間に厳しく身内の甘いのは良くも悪くも日本文化でもあった。

 だが、家族内で信頼感の崩れからひとたび愛が崩壊すると、愛は憎悪に変わる。愛の裏には憎悪が必ず同居している。日常を共にする生活共同体の中で愛が憎しみに変わると、憎しみはさらに蓄積をし、暴力的な破壊力が次第に増し、臨界に達した時に相手に衝撃的な行動を取る。ガス抜きが出来ない、まじめ、おとなしい、忍耐力のあるものほど、内に秘めたる破壊力が蓄積される。

 家の仕事が遅い、試験の結果が悪い、夢がない、自分を否定されたなど、ごく些細な事柄や言動によって、感情の抑制が効かなくなり今回の加害者は犯行に及んだ。しかし、なぜ、遺体を損壊しなければならないのか、疑問が残る。証拠隠滅のためだけだろうか。焼け焦げたり、切り刻まれた死体でもDNA鑑定すれば被害者は明確になることは誰でもが知っている。たとえ、加害者がパーソナリティ障害だとしても、そんな人は山のようにいる。その障害を持つひと、みんなが重大犯罪を引き起こすわけではない。遺体を損壊する心理は被害者に対する憎しみの深さなのだろうか・・・・・・。

 許し、見守るだけの家族だと、子どもが自立しないで、時によってはひきこもり、ニートになる可能性が高い。反対に子どもの気持ちを理解せず「学校に行け」「勉強しろ」「仕事をしろ」「自立しろ」ばかりだと、家庭内暴力から親殺し子殺しの殺人事件に発展する可能性がある。

 現在日本の家族は、お互いに理解し合い、身内を庇い、助け合う機能の不全状態にある。家族がてんでに食事し、ねむり、好きな時間に風呂の入り、勝手に時間になれば学校・仕事へ行く。互いを理解し愛し合うという家族が本来持つ機能が働かず、家の中でも個として生活する家庭内スラム化が進行している。そして、自分さえよければそれでよしとする風潮もある。もし、自分の行動を家族に阻害されれば、相手(親だろうが兄弟だろうが)を排除する。日本的な身内を家族で庇うことが崩壊した時、青少年の犯罪は激増する可能性がある。 

 それは市民として安全に生活していく場の崩壊を意味している。これらの事件の背景を探れば探るほど、背筋に寒気を覚えるのは私だけではない筈だ。

文責 牟田武生