おとなになれない男(1)

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.33 -

 普段は気が小さく優しいが酒を飲むと人格が一変し、暴力を振う父親の元で育った恋人に同情し、結婚した咲子(30)は包み込むような優しい母性を持った女性だ。咲子に心と体で抱擁され、夫(35)にとって、実父から受けた幼き頃の心の傷は癒えていくかに思えるほど幸せな日々だった。やがて、二人の間に男の子が産まれ幸せの絶頂に包まれた。

 だが、二人の生活が赤ちゃん中心の生活に変わっていくと、夫の行動がおかしくなった。赤ちゃんがご機嫌ななめで激しく泣く時に限って、夫は「お茶をくれ」「テレビのチャンネルを変えろ」など自分でやれば良いようなことを咲子に命令口調で言う。外で稼いでくる夫に同情し、頼みごとを叶えるのだが、赤ちゃんは火がついたように泣き出す。そうなると、夫は「早く泣き止ませろ。テレビの声が聞こえない」と怒鳴る。オッパイを飲んだ後、げっぷして戻した時など、赤ちゃんをどうしても、優先しなければ、ならない時に「ちょっと待って」と言おうものなら、「待てない」と言いイライラした態度に変わる。 

 赤ちゃんのケアに追われようものなら「お前にとって俺と赤ん坊のどちらが大切なんだ」と、咲子にとって訳の分からないことを言い出す始末だ。それこそ、これから寒くなり始め、赤ちゃんが風邪をひき、拗らせたら大変な騒ぎになる。

 暴力こそ振るわないが、夫の言葉に傷付き、どうして良いかわからなくなってしまう。夫に同情しつつも、身動きが取れなくなってしまう自分を感じる。

 ある時、咲子は夫に思い切って「あなたは赤ちゃんと張り合う必要がどこにあるの?」と質問をしてみた。夫は何のことを言われているのかわからずにキョトンとしている。

 過って、祖母(夫の母)に夫の幼い頃の様子を聞いたことがあった。祖母は祖父の暴力を恐れ、子(夫)が虐待を受けていても、見ず知らずの行動をした。さらに虐待を認めずに、「大学まで出してやったのに何が暴力だ」という言葉を思い出した。

 自分を赤ちゃんに取られてしまうと思い、無意識に家で張り合う夫。会社に行けば中間管理職として仕事をこなす夫。酒乱の親を持ち虐待を受けながらも、自分の心の居場所として、勉強に打ち込み学校の先生に認められ、褒められることを生甲斐に家庭で現実逃避を図った夫は被害者でもある。

 心の奥底で「お願いですから赤ちゃん中心の生活が、なぜ出来ないの?赤ちゃんは一日の大半を寝て過ごす。赤ちゃんの寝ている間は私はずーとあなたのもの。せめて目を覚ましている間は、赤ちゃんだけの時間にしたい。それも夫婦一緒に楽しみながら、子育てがしたい」と、思っている。

 そんなある日、赤ちゃんがねむりにつき、甘えてくる夫に気持ちを打ち明けたら、
 「俺の心の中には咲子と同じ、赤ちゃんを思う気持ちの自分と嫉妬している二人の俺がいる。嫉妬している俺は凶暴で自分でも、押さえられないくらいの悪魔なんだ。もしかして、親父から虐待を受け、歪んでしまった俺の心かもしれない。助けてくれ咲子!」と言って強く抱きしめる。

文責 牟田武生