「ニート対策・若者自立塾」<2>

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.22 -

富山県宇奈月温泉での厚生労働省委託「若者自立塾」が始まって、6週間が過ぎた。自宅でひきこもった生活を長い間、送っていた若者達は、午前6時半起床、午後10時半消灯の生活にようやくなじみ始めた。
富山県出身の昭夫(31)=仮名=は軽度の発達障害を持っている。小中学校時代から養護学校で過ごし、地元の私立高校を卒業した。高校時代に理解されずいじめを受け、人に対して恐怖感を抱いている。それでも彼は高校を卒業すると繊維製品の加工工場に就職し、6年間、無欠勤、無遅刻で働いた。工場で働く若手は昭夫だけで、周囲は自分の母親と同じ年齢くらいの女子従業員と定年退職後の2度目の就職で働く男子熟年従業員のみだった。あらかじめ決められた作業を忍耐強く黙々とこなす若い彼に対して「今時の若者には珍しく良く働く」と中高年同僚の信頼は厚かった。
しかし、昭夫にとって幸せな日々は長く続かなかった。人手に頼っていた方式から、人件費削減のため工場の機械化が進み、彼を含め多くの従業員はリストラされた。ハローワークの職員の指導に従い「まだ、若いのだから手に職をつける」ことを勧められ、労働訓練校に入り壁張り職人の訓練を1年間受け、職人見習いとして再び歩き始めた。
面倒みのよい年寄親方は昭夫の若さに期待した。「彼はまだ若い。仕事を覚えてもらい、将来は自分の会社を背負ってもらう一人前の男に育てよう」と思った。昭夫は生来の真面目さで、人が嫌がる汚れ仕事をこなしていった。「丁寧で仕事は少し遅いが確実にやる」と、親方の評判は良かった。2年間、下積み作業を休まずこなし、仕事を少しずつ覚えていった。
小さな現場を任せてみようと、親方は昭夫に次のステップを用意した。しかし、手伝いであれだけよく働き、仕事の手順を覚えているはずの昭夫だったが、何一つ仕事の段取りが組めなかった。下働きは完璧にこなせるが、仕事の段取りをしたり人に仕事頼めない。親方が何度も昭夫の働く現場に行き、現場の責任者の仕事内容を指導するが覚えられない。親方は頭を抱え込んでしまった。「昭夫にはこの仕事は向かない。彼にもっと合った仕事があるはずだ。彼はまだ若い。未来も希望もある」
仕事を首になった。昭夫は仕事を一生懸命探したが見つからなかった。「自分は駄目な人間だ。何をやっても上手くやれない」と自暴自棄になり、家にひきこもるようになった。自分自身の不甲斐なさを責める毎日が続き、人生にとって重要な20歳代後半の3年間はあっという間に過ぎ去っていった。
親も、昭夫をこのまま家に置いておくわけにはいかない。しかし、昭夫の能力から考えても、本人と親の力だけではどうすることも出来ない。彼の能力で出来る手作業でコンピュータや機械がやれない仕事はないものか。作業が少し人よりも遅いが、まじめに正確にやることが昭夫の全てだ。以前の日本なら、そのような仕事はどこにでもあった。手間のかかる作業はコンピュータが入り機械化が進み、コンピュータ化にコストがかかるものは、人件費が安い海外に工場は移転していった。
ニート85万人の中には軽度発達障害の人たちはまだ少ない。しかし、文科省統計では現在6.3%の軽度発達障害の子どもが学校にいる。その人達が社会に出る5年後、その子達の就労支援が本格化しないとニート人口は急増することは目に見えている。(つづく)

文責 牟田武生