生き方探しの旅へ(3)~地域産業と一体化した伊の教育

- MSN-Mainichi INTERACTIVE No.16 -

 イタリアの教育制度は、小学校6年間、中学校3年間の9年間が義務教育になっている。高校は中学校の卒業資格を取得すれば希望する高校に入学できる。高等学校は文系・理工系・外国語・教員養成と分れる。他に専門学校として、技術養成・職業・芸術・美術の各専門学校がある。その上に大学・工科大学等がある。制度的には日本とほぼ同じと考えてよいが教育内容が違う。他の欧米諸国と同じように高等学校以降、入学は一定の条件をクリアーしていれば、希望する学校に入学可能だが勉強していないと卒業は難しい。従って留年者や退学者も多い。

 ミラノ市郊外にある公立高校を訪ねた。週6日制の授業で補習の授業もあり、宿題も多いと生徒達はこぼす。国語や外国語(英語)は月1回の割合で筆記試験(1教科3時間程度)口頭試験(40分程度)が行われるので、丸暗記や一夜漬けの詰め込み勉強ではすぐにメッキが剥がれてしまう。文系では国語・歴史・外国語が中心になる。歴史では古代ローマ史やギリシャ史について大学のレベルの学問が行われていた。また、国語でも古典でダンテの神曲を精読し、一人ひとりの考えで天国や地獄について哲学的な議論をしていた。

 同じミラノ市にある美術の専門学校を訪ねると、高校生は彫刻・絵画・美術史は勿論のこと宗教史や哲学を勉強し、自動車会社の工業デザイナーや服飾関係のデザイナーから直接指導を受けていた。
 主任教師のミレニ先生(42)にお聞きすると「宗教史や哲学・美術史が思想の基礎になり、絵画や彫刻がテクニックの基になる。それが出来るようになったら、後は、その子が持っている才能をいかに引き出すかが教育の目的です」と答える。
 普通高校の生徒達は大学や工科大学に進学し、専門学校の生徒の多くは地元のデザイン工房や会社、商店、工場に就職する。日本のように学校と会社に大きな壁があるのではなく、デザイナーや職人・技術者等が専門学校に講師として採用され、学校と産業の一体化がはかられ、専門学校から就職に繋がるシステムがある。そして、地元の州は地元産業の振興のために地元ブランドを支援し、売り出す仕組みを競って作っている。

 「日本では、将来何がやりたいのか、どんな仕事に自分は向いているのかについて、多くの若者が“自分探し”をするけれど、イタリア若者にはないの?」
と高校生に質問してみた。

 「“自分探し”そんなものはないよ。小学校の時から色々な職業を持った先生が仕事の話を聞かせてくれたし、実際に体験もした。だから、高校に入る前には自分がどんな職業に向いているか分かったよ。また、家の近所の様々な職業を持っている人からパーテーで、話も聞けるからそんなことでは悩まないよ」と異口同音に答える。

 「留年し、高校や専門学校を退学する人もいるよね。その人達のことをどう思う」
 「勉強しなかったんだと思うよ。大学に行くには勉強をちゃんとやらなければ、大学に入る意味はないよ。専門学校でも将来その道のプロになるんだからやっぱり勉強しなければいけないと思うよ。僕の友達でも高校を留年し、専門学校に入り直した友達がいるけれど、高校で勉強したくなかった意味が自分なりに分かって、進路変更したのだから問題はないと思う。また、頑張れば良いよ」と明るく答える。

 戦後、イタリアは日本よりも少し早く高度経済成長期を向かえた。経済成長期には、どこの国でも、都市や地方の主要な町では古い町並みを壊し、町を作り直し郊外が拡大していく。そのために下町以外は地元の商店街はなくなり、郊外に大手のスーパーマケットができ、人の流れが変わる。しかし、イタリアでは主要都市は勿論のこと地方都市でも、掘り返せば遺跡にぶつかる。そのため、郊外に拡大させるのを止め、町への自動車の乗り入れを制限し、徒歩で生活できる都市の再生を図り、遺跡と地元商店街が融合させ、観光とブランド商品の開発に力を入れた。その結果、地域社会は残り、懸案だった少子化問題解決(1995年1.18から2000年1.25に上昇)の目途が立った。

文責 牟田武生