不登校、ひきこもりの子ども、家族への援助

天理市第46回心を育てる教職員の集い講演

講師:牟田 武生

-以前は学校恐怖症や登校拒否ともいった不登校。

不登校の子どもが出だしたのは昭和二十年代の後半。

四十年代から増加し、現在にまで至っている。

牟田武生氏の講演は、四期に分けられる各時代の特徴を解説し、親と学校が協力して子どもに接するにはどうすべきなのかを説く。

永年の教育コンサルタントの経験から教師や親へのアドバイスを頂いた。-

ただ今ご紹介いただきました、私、民間教育施設の教育研究所というところで教育コンサルタントをやっております牟田と申します。

私は大学院を出た時に、いわゆる教育相談、あるいはどちらかというとケースワークを含めた形で子どもたちと関わりたいと思っていたのですけど、なかなか教育相談とか、ケースワークというのは、退職された校長先生がやられているケースが多くて、私たち若い者が入っていくことが出来ませんでしたが、今は少し門戸は開かれるようになりました。

その頃、自閉の子も多く現れてきているし、長欠児という子供もぽちぽちと現れていた。学校ではいわゆる落ちこぼしとか、落ちこぼれた子供というような表現もなされていた時代で、確かに競争社会の中で負者として落ちこぼれていくのかもしれないけれど、では、その落ちこぼれた人たち、もしかしたら、純粋であふれ出たのかもしれないけれど、そういった人たちを支援することってあるのかなと、ふと考えていたのですね。そういう負者とか、競争社会で落ちこぼれてしまった人を何か支援することが本当は民主主義では必要なんじゃないかなと、こんな非常に高慢なことを考えて研究所を始めたわけです。

初めての不登校児との出会い

実際には不登校の子供と一番最初に関わったのは二十三の時。女房は亡くなったんですけど、中学校の先生をやっていまして、新任で入ったら、どうも入学式に来て、最初の一週間は来たけれど、それから来ない子がいる。自分が家庭訪問すればするほど亀さんみたいにどんどん引っ込んでいって会えないような状態でした。

その当時、今から三十五年くらい前、進級の問題や卒業の問題というのは実際、義務教育の問題の中でも大きな問題だったのです。このままいってしまうとこの子は進級が出来ないのではないか。卒業できなくて十六歳になった段階、二回目の中学三年生をやった段階で除籍という扱いを受けているケースが横浜でも東京でも多かったのです。義務教育を除籍されてしまうと、子供の場合、中学校を卒業していないのですから高校にもなかなか行けません。就職することも出来ない。

そういった子供は例えば中卒検で就学猶予免除者のための中学卒業検定を受けさせようとするのですが、いわゆる就学猶予の免除を受けているわけでもないから、それを受けさせるにもちょっと書類上大変だというようなこともありまして、熱心な親であればあるほど、この子の将来を考えて、とにかく何とか学校に行かせよう、あるいは先生が車でやって来て布団蒸しみたいな形で引きずり出して連れて行くというようなことが現実に行われていた。

女房も困ってしまって、そんなこと出来ないし、何とかならないかなということで、

「あなた、只本を読んで書き物をやっているだけじゃなくて、家庭教師みたいな形で行ってみないか」と言われて、断り切れないのです。こちらはヒモの生活ですから、どちらかというと。ヒモが断ち切れたら生命が無くなっちゃうし、お金のパイプがなくなっちゃうわけで、女房が稼いで僕は家事一般を全部やっていてということだったから、家事労働が認定されりゃそんなことはないのだけども、そういう生活をしていました。それで行きました。

行ってみると総檜の立派な家で、日当たりの良い所にその子の部屋がある。でも私が行ったって会えるわけがないわけですよね。神様じゃないんだから。でも、成果なく帰るのは困るな、女房に怒られて家に入れてくれないんじゃないかと思ってたもので、しようがなく、兄弟がいたので、兄弟の家庭教師という形でその家に入り込んだわけです。

勉強は少し、三十分くらいやって、後一時間から一時間半はトランプやったりオセロをやったり、花札をやったりという形でワイワイワイワイ、子供が三人いましたけれども、盛り上がらせる。盛り上がらせて楽しく週一回とか二回行っていると、半年、九ヶ月くらい経ってソロソロッてフスマが開いたんですね。「何をやっているんだ。毎週毎週、楽しそうに」って、その家に行ってから九ヵ月後くらい経っていたんですね。初めて会って話をしてみたんです。話をしてみるといっても「トランプをやらないか」と言いながら様子を見る。

よくその子を見てみると、私の今まで学んできたフロイトとかユングだとか、ロジャースの事例の中には出てこない人間だったんですね。どうしてもこれは精神疾患にも思えないし、ウツ病にも思えないし、神経症にも思えないし、で、怠けでも非行怠学でもないわけだし、いったいこれはなんだろうなと思ったのが私の運の尽きでした。大失敗だった。三十二年間結局その仕事に付き合うことになりました。今でもその子とは付き合っているんです。

その子のお父さんは、その当時、ガソリンスタンドと自転車屋をやっていたのですけども、その子に技術的なことを覚えさせた方が良いだろうということで、技術畑に進んでいくことになります。中学校は年間、百日くらいしか出席できなかったのだけど、高校へ行きたいと言った時に困ってしまいました。とにかく相模原につぶれそうな私立の学校がありまして(その頃はつぶれそうだったのですが、今はスポーツで結構強くなって住宅地が出来て、生徒も沢山集まってきています)そこの校長先生に何とかねじ込んで入れてもらった。でも、高校というのは欠課時数の問題がありますので、あまり休んでいると単位が取れませんから、進級卒業できない。その子は高校生活では3年間で百日くらい休みましたが、卒業をして、そして技術畑ということで自動車の修理に進み、今は修理工場の社長をやっているんです。今でも僕は彼に全部整備をお願いして直してもらっているのです。そういった付き合いがずっと続いているのです。

不登校の75%は対人不安・緊張不安

研究所の方は最初の頃は自閉症の人、それから長欠児でぽつぽつ休む子、それから非行の問題を抱えている親の人のカウンセリングというようなことを中心にやっていました。ところが、自閉症の場合も医学的な領域で検査が進んでいくと、「微細機能障害」という、いわゆる脳の機能障害の部分があるから、(現、関わりの中では私自身としては、今は考え方は違うのですけれども)その当時、関わりに限度がある医学的な領域ではなくて、別に成果を期待しているわけじゃないのですけども、自分で関わっていけば行くほど何とかうまくいったとき、その子自身の自己実現につながっていくようなことはないか。心理学と教育学と、どちらかというと精神医学の中間的なもので、病気でないものというもの。教師というのはみんなそうですけれど、自分のやったことに成果が出てくると、とてもうれしいですよね。

不登校の増加

それで、昭和四十年代の中頃から不登校の子供たちが増えてきて、その不登校の子供たちの支援をしていくという形に段々変わってきました。

現在は、不登校状態というのは基本的に年間三十日以上を病的、病気でもなく、明確な理由が無く欠席の状態の続いている人なんですけれど、不登校状態の継続を見てくると、無気力の人が20.5%、不安などの情緒混乱型が26.1%、複合型、いろんなことの理由が明確でなくて決められないもの、これが25%、これらを合わせると75%近くいくわけです。年によって違うけれど、だいたい70から75%、この全体の四分の三の人たちというのは、どういう人かというと、無気力で、不安などの情緒的な混乱を抱えているために対人不安、緊張や不安を覚える、またそういった症状を両方持っているような人が複合型で、基本的には不登校の子供たちの四分の三くらいの人たちがひきこもり傾向にある人たちです。

これが不登校の中心の存在と考えた方がいい。学校へ行かないでバイクを乗り回して遊んでいる方が楽しいとか、仲間とつるんで悪いことばっかりやって学校に来ないという子に、ついつい生徒指導の先生たちは目が行きがちで、これも不登校なんですけど、不登校の中核は不安の強いひきこもりの人です。

この人たちが全体の四分の三近くいるということをふまえて、この引きこもりのような状態を改善していかないと不登校の問題というのは解決しないぞということなんです。

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