NPO☆Kyoken通信 87号
日韓 宇奈月国際会議報告特別号

2008年4月に行われた日韓・不登校、ひきこもり、ニート国際会議で行われた講演の中から、若者自立塾の生みの親である、坂口順治先生のご講演を特集号として取り上げました。
先生は心理学、福祉、教育の様々な分野の専門家であるとともに若者を見る温かい眼差しには感動を覚えます。今、忘れかけ始めている日本人が持っていた素晴らしさは、世界に誇れるソニー、松下、HONDAなどの創業者達の経営理念と同じような気がします。競争が激化したグローバル社会の中で生き残る知恵が私にはあるように思えます。ぜひ、お読みください。
講演記録 第1回 日韓・不登校,ひきこもり,ニート国際会議
『ニートを中心にした日本の青少年問題』
〜Welfare
from Workから
welfare
to Work〜
坂口 順治
1932年(昭和7)生 文学博士 元立教大学教授、前平安女学院大学学長
現在 若者自立塾専門委員会 座長
専攻 社会教育心理学,生涯学習方法論,グループ・ワーク
主催 NPO 法人 教育研究所
2008年4月5日於 富山県黒部市 宇奈月 国際会館
只今ご紹介にあずかりました坂口順治であります。これから与えられました演題「ニートを中心にした日本の青少年問題」についてお話をさせていただくわけですが,副題として「from から to へ」という題をつけさせていただきます。これはWelfare
from Work
からwelfare
to Work
という言葉でお分かりのように,福祉の意味も変化し,時代も変ったことを強調して,青少年問題を語りたいためであります。かっての時代には若者が過酷な労働に従事していた,そこから解放して人間性回復を図る福祉へと導く活動をしていましたが,現代のように若者の福祉は働くことを通して得られるのだというコンセプトに変わり,仕事に結び付ける活動をする時代になったことを表現する言葉として用いたいのです。時代が変わった,という認識を明確にしたいためであります。
1 私の足跡
さて,先日も若い大学生に講義をしておりまして,私のこの右手はジョン・エフ・ケネディと握手した手なんだよ,と言いましたら,学生たちは「先生,それは歴史博物館に入ったような古いことですね」と反応が返ってきました。私は1960年にはアメリカに留学しておりました。JFKが大統領選挙の最中に私が学んでいる大学のキャンパスにも選挙のキャンペーンで来たのです。そのとき,野次馬でケネディを一目見ようと,でかけました。深夜まで待ってやっと一行が到着しました。選挙権もない私にも握手をしてくれました。
なぜ,私が若者にかかわる仕事をしてきたのか,その理由の一端を説明するために,古い昔の話を持ち出してきたのですが,アメリカに留学をした動機にかかわることからお話をしようと思ったからであります。
私は旧制の中学1年の夏に日本が第2次大戦で負けました。敗戦になって社会の価値が180度転換いたしました。それまでは軍国日本の少年として教育を受け,陸軍幼年学校や海軍兵学校の予科生徒になるための勉強を指導してくれていた教師が,敗戦を契機に教育指導も大転換を遂げました。ゲートルは巻かなくてよい,だらだらでも良い,つけ焼き刃のアメリカ民主主義を教壇で語りながら,同時に我々教師は労働者なのだと,赤旗を振りまわす始末でした。そこでの私が実感したことは,今でこそ言葉で表現できますが,心の苦しいものでした。何故なのかは分からないまま,もやもやした心情でありました。絶対的な権威があり,信頼を置いていた教師に対して,信頼感が瓦解した最初の経験です。教師の絶対的権威に対して,精神的挫折を味わったわけです。それは当時は言葉にも表現できないまま,何を頼ればよいのか困惑した少年のブルーな心境でした。これが私の人間に対する不信感のはじまりであり,今も人を見たら疑えと言わんばかりの不信感が漂っています。人間に対する不信感のトラウマのようなものは,今も心の底に残っていますし,引きずっています。
大学生の頃には,さらに大人や社会に対して絶望的不信の念をもちました。例の東京都のあの人「太陽の季節」が芥川賞をとって,社会が大騒ぎをした年であります。破廉恥な社会問題となり,当時の不景気も手伝って昭和7年生まれを採用しない会社も出ました。私が志望していた会社も正式採用が無かったのです。世の中からは,「アプレ・ゲール」と戦後派の若者の道徳的破廉恥さを揶揄されて,大人からは痛めつけられました。そこでは真面目だった若者たちも一括して悪者扱いでした。そこに生じた心理的な気持ちは,社会に対して,大人に対して不信と裏切り的背信を感じると同時に,ニヒル(虚無的)になる若者であり,自殺を誘う雰囲気をもち,また理由なしに暴れる若者の世界になっていきました。社会にとっては厄介者でしたし,理解してくれる大人が居なかったように思えました。今,思い返しても暗い憂鬱な心理的世界です。そこで,私は反発のエネルギーを留学へと転換したのでした。
アメリカに留学してみると,そこには自由さがありました。何をしても受容される社会的雰囲気がありました。絶対的権威はありません。時間にしても地方によって標準時間があり,サマータイムがあり,それぞれの生活に便利なように変えられていました。価値,行動基準,人種など何から何まで,絶対的なものはなく,全てが相対的でありました。と同時に自由さと自己責任が個人にかかってくる経験をしました。相対化,自由さ,個人の主張,自己責任の社会でした。しかしながら,民主主義の現実社会を見ていますと,そこには,多くの虐げられている人たちを見ました。さらにこんな自由な国であり,平等の国であると思っていましたが,多くの矛盾のあることも分かってきました。人種差別がそうであります。昨日がマルティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されて40年になりましたね。絶対非暴力と平和を説き,ガンジーの思想を継承したキング牧師の「公民権運動」は今も改良しながら続けられていますが,未だに差別があります。
私も人種差別を受けた経験をしました。バージニア州でバスに乗ろうとして黒人側の入り口から入ると,黒人たちは前の白人の側へ乗れと言いました。前方の白人側に行きますと,お前は後ろだと乗せてくれません。白からも黒からも差別されてしまいました。結局はドライバーが前に乗れと言ってくれましたので白人の方に乗りました。また,ユダヤ人からも差別的処遇を受けました。
さらに貧乏学生でしたので,いろいろなアルバイトをしていまして,恵まれない若者たちと一緒に働きました。「声なき声」というのでしょうか,何事も文句を言わずに理不尽な労働を黙々としている若者たちに接して,つくづく考えさせられました。若者は大人によって将来を潰されている,という現状の矛盾を痛く経験したのでした。学歴も発言力もない未熟な若者は,大人の言いなりになるように飼育されていると感じとりました。
こうした経験は,自由な豊かな国であることと共に,より深い矛盾を内包している社会であることを知ったのでした。そして,学問の方も象牙の塔にとじこもるような専門馬鹿になるよりも,社会の現実に役立つ横断的な仕事をしようと決心しました。プラクティカル・セオリスト(実践的研究者)というか,社会的実践を優先した研究者になることを理想として,一つの専門分野に固執しないで,タテ割り型の分野から,当時の言葉で表現すると「行動科学」という関連領域を横断的に結び付ける研究と実践を身につけることにしました。
帰国して,社会教育心理学や継続的学習の方法論という名の下に,グループ・ダイナミックスの社会への適用をもくろみ,同志とともに働く若者たちの憩いの広場,勤労青少年センターを建設して彼らの居場所づくりに努力を傾けました。今でいう福祉・教育ボランティア活動です。
「深川勤労青少年センター」という名称で,東京都江東区冬木町に,木場(木材の集散地)で働く若者たちを労働から解放して,しばしの休息を得られる居場所づくりをしました。当時は1ドル360円の固定時代でしたので,ドルが有効で外国からの募金も集めました。しかし,どうしても約100万円が足りません。そこで「窮鼠猫を噛む」と言うのでしょうか,仲間と智慧を絞って思いついたのは,働く若者に関心のある大企業の社長にお願いをすることでした。会社訪問をしても秘書課でストップをかけられます。当時の私は髪の毛が長く薄汚い服装でしたから,怪しい若者に見えました。社長には会わしてくれません。仲間と相談すると悪智慧が浮かんできました。社長が東京におられるときには,自宅から車で通勤される。その車体番号を控えておいて,朝出勤されるときをとらえるのが絶好のチャンスだと,妙案が浮かびました。さっそく実行しました。1日目は失敗,2日目もやはりうまくいきませんでした。警備の人に注意されてしまいました。3日目は雨でした。奥さんが社長に傘をさして玄関から車の方へ来られました。そこを見計らって飛び込み,車に一緒に乗って丸の内まで来てしまいました。その間,働く若者たちのためにボランティア活動をしていることを聞いて下さいました。私は興奮していたのでしょう。詳細な記憶がないのですが,車に同乗して会社まで来てしまったことは覚えています。その日の午後になって,あの憎き秘書課長から電話があって,不足している分を出しましょうという返事がありました。皆で飛び上がってよろこびました。そしてセンター建設が予定通りに完成して,当初の夢を実現いたしました。
この経験で学んだことは,本当に決心をして真剣に取り組んでいくと,必ずそれが実現できるということでした。また,ホンネでぶつかると人は動いてくれるという確信に近い経験でした。断じて行えば,実現できるということで,どのようにすればよいかというハウツーの心配はいらないということにも繋がりました。「意志あるところに,方法あり」と言うではありませんか,真実を訴えていけば,人は動くという確信に近い人間信頼に変化しました。
育ってきた私の遍歴の過程には人を信じない,裏切られるという不信感,猜疑心がありましたが,真実を述べることが人の心を動かすこと,同志が一丸となって熱中すると同調してくれる仲間も増加するのだという人間信頼への経験に変化していきました。
出来上がったセンターでは,「声なき声」の虐げられた若者たちがゆっくり休息のとれる居場所をつくり,私はセンターの玄関口に設けた喫茶店のコーヒー・バー・ワーカーというボランティア活動を約10年間いたしました。センター建設の前に,社会調査をしまして,主に東北地方からの若者たちは何を欲しているかを調べたのでした。その第1は都会に来て喫茶店でコーヒーを飲むこと。第2は異性の話相手を見つけ出すことでした。
このセンターはいわば「Welfare
from Work
」という過酷な労働からの解放と疎外された人間性を回復するための活動でした。地方から集団就職列車で上京してきた若者は,標準語をほとんど話せませんでした。テレビが普及していない時代でしたから,共通の言葉は身についていませんでした。地方の言葉では会社での中で笑われてしまうので,余計に寡黙になります。そうした若者たちに、こちらから積極的に声をかける役割,これが私の仕事でした。いろいろな事柄を相談する相手になること,今の言葉で言えばカウンセラーと言うのでしょう。若者は落ち着いてコーヒーを飲みながら,相談をしたり,憩いのひとときを過ごしました。時あたかも「集団就職列車」のあの流行歌「ああ上野駅」が,一世を風靡しておりました。春の風物詩は「集団就職列車」が到着することからと言う時代でした。ちなみに,上野駅の御徒町寄りのガード下には,当時の写真銅板をつけた記念碑が立っています。
こうした活動を当時の労働省の目に止まったのでしょう。労働省は勤労青少年のためにボランティア活動をしたというので,豊田市にある「憩いの家」とともに表彰して下さいました。こうしたきっかけから私は労働省の仕事とも,結びついていきました。
その後時間が経過変化して「Welfare
to Work
」の時代になって,ニート関係の問題にも関わっている現在です。
2 働く若者への福祉・教育活動
次には,働く若者たちへの福祉的アプローチを若干振り返りながら,労働福祉の歩みをたどりたいと思います。
第2次世界大戦が終って,アメリカ占領軍の指導の下,日本の労働政策も新しいことを開始しました。特に厚生省から労働省が分離して婦人少年局が独立誕生して,働く年少労働者には手厚い行政の政策が遂行されました。婦人参政権を得た頃であり,優秀な女性官僚が誕生した時でもありました。働く若者に対する政策は,単に政策を立て行政に下ろすと言うだけではなく,自らが実践したこと,しかも官僚のボランティア活動とも言える無償の奉仕活動が光っていました。例えば年少労働者の集いを開くことになると,大手の食品会社に交渉して「キャラメル」を寄付してもらい,入場者一人一人に栄養補給のために手渡すということをしました。また,今もその痕跡が残っていますが,日曜日の夕刊は休みになっていますね。その要因には新聞配達少年の休息を確保する運動から生まれたものであります。新聞少年は毎朝早く起きて朝刊を配達します。夕刊も毎日配達をするわけですから,せめて日曜日だけでも夕刊を休みにすると助かるという行政指導があり,日曜夕刊がなくなりました。また,三角定期の発行というのがありました。職場と学校と宿舎の三角地点の移動を5割引の通勤通学定期の発行を促したのでした。当時の鉄道定期券は学生は5割引,勤労者の定期券は2割引でした。若者が昼間働いて,夕方定時制の学校へ通うので3地点の移動になります。その通勤通学定期を全部5割引きにしたのでした。働く若者への福祉的配慮です。さらに深夜勤務の禁止(美空ひばりちゃんを除く),危険物有害物取り扱い(酒屋さんの勤務など)職業には注意をする,というように労働福祉の視点からの若者を大切にする精神が生かされていました。
集団就職列車が春のおとづれを告げる季節の風物詩になった頃から,日本は急激な経済成長時代に突入しました。「金のたまご」といわれた若者の労働力は,石炭や石油と同じように熱効率のよい若いエネルギーという扱いになっていきました。若い人たちはエネルギーの代替物になっていました。身体的,精神的発育盛りの若年労働者を,成長に必要な栄養や時間や余裕を与えることなく,生産性第一主義の渦中に追い込んでいったと言っても過言ではありませんでした。そこで,青少年の教育や福祉について危機的関心を寄せている大人たちが,立ち上がって,若者は大人の「所有物」として労働に駆り立てることではないのだと,ボランティア運動を起こしました。愛知県やその他の町で有志の運動が展開されるようになり,行政も後追いでありましたけれども,勤労青少年福祉法を制定して全国的な福祉・教育活動を展開しました。中野サンプラザ(正式名称は全国勤労青少年会館)や勤労青少年ホームが全国各地に設立されていきました。また,戦後の企業創設者の数多くの人達は,こうした若者たちへの福祉的施策に理解がありました。松下幸之助,本田宗一郎,盛田昭夫さんなどが賛同してくれました。しかしながら,大人社会からの若者たちへの見方は,勤労青少年ホームは生産性向上のための若者の再生のための憩いの場でありました。リ・クリエーションとは「余暇善用」という再び元気を取り戻して労働に励むための休息であるという意味でありました。極端な言い方をすれば枯渇しそうな所有物を充電チャージをして再生するようなもので,若者の人間的課題を抜きにしたものでした。 当時は既に復興期に入っていたので,世の中は建設ブームでした。いわゆるハコづくりが多く,施設を建設するがソフトを十分に備えないために問題も生じてきました。「仏つくって魂入れず」と言うのでしょうか,働く若者たちと親身になってかかわってくれるワーカーのはたらきが,なかなか出来なかったのです。折角の福祉・教育の活動も,場所は建設しても,その中で活動するソフトと質のよいワーカーが不足したままでした。
しばらくして,果敢な経済成長期が過ぎてやや落ち着いてきますと,時代が若者の労働力にだけに頼らなくてもよい時代になってきました。技術革新やロボット化で,今度は若者を「給料一人前,仕事半人前」と揶揄するようになって,未熟な若者の労働力の価値が下がってきました。そうしたら,使い捨ての扱いが目に見えてきます。技術革新もあり,産業構造も変化して第2次産業よりもサービスや情報産業が増加してきました。それで若者の扱いも社会的な位置付けも変わりました。若者の労働力は価値が低くなりました。若者を育てることを忘れた大人は,使い捨ての道具のように扱いました。
バブル景気は,もの余りの時代と言われ成熟社会に突入しました。この時代に育ってきた若者たちは,社会の内外の混乱とくに価値基準の変化した社会に対して戸惑いました。かっての倹約と質素を旨として生産性を上げる社会価値の時代から,消費第一主義をとる時代へと転換してきましたから,人々の生き方も当然変化しました。私なりの言い方をすれば,自分の生存をかけたサバイバルな生き方(自己欲求充足型の生き方,Have)から,衣食足りて生活の充実を問いかける,存在の意味を求める生き方(存在価値追求型,Be)に変化してきました。若者の価値観の変容はこうした時代価値の変化に連動しているのは当然のことであります。
こうした時代的価値観の変化とともに,経済の影響はバルブがはじけて大変な時代に突入しました。政治や行政のあり方も戸惑いながら,即戦力やその場その時によければよいという気風が漂いました。これはマーケット中心主義経済のやり方で,未熟で使いものにならない若者の労働力を切り捨ててきたのです。不景気になれば一番しわよせをされるのが弱者です。声なき声には配慮はいたりません。こうした変動社会が到来して若者は虐げられました。
不景気のときには,若者の就職はうまくいきません。行政的処置も十分でないために,「ロスト・ジェネレーション」(失われた10年の世代),「就職超氷河期」などとラベルをつけて時代が過ぎ去っていくようでした。そこに現代の大きな青少年問題,なかでも働かない若者,いや働くことを知らない社会問題が生じているわけです。
3 若者の心理的な特徴
若者を理解する心理的な側面には,2つの見方をする必要があると思います。一つには人間として成長していく過程は普遍的な発達の段階があります。誕生から生涯が終了するまでの人間の成長発達段階には,変わらないステップがあります。もう一つの側面は,人間の価値形成には,社会の価値に影響を受け,その価値変化の影響によって動揺する要因のあることです。
まず,普遍的な側面から考えましょう。一般に人間はその生涯を通して4つの生まれ変わりがあると私は思っています。最初はこの世に生まれ落ちた,いわゆる誕生日の誕生です。これを「個我」と呼んでいます。個としてのこの世に君臨するわけです。母の体内から離れて、自分で生きていくわけです。それには自己中心に生き抜く必要があります。赤ん坊は空腹になれば,ときやところに関係なくどんな状況でも,遠慮会釈なく自分が空腹であることを,大きな声で訴えて泣くことができます。それが赤ん坊の特権です。これが個我の誕生です。自分だけの世界から,自分以外の人へ訴えていく個我の時代です。
次に,成長しながらティーンエイジを迎えます。それが第2の「自我」の誕生です。思春期の動揺にみられるように,自分を自覚するのは,他人の存在を媒介にして自分を知っていきます。異性への意識もそうであります。自分が他人とのかかわりの中で生きているという認識になることです。いわば「他我」を媒介にして自我を知る,というような自覚の誕生です。哲学的な思索や自分以外の世界に目を向けながら,自分を振りかえるような自己覚知です。
第3は,社会人になって社会の一員という自覚の下に,自分を理解するという「社我」というものです。大人になった自分は子供のように自分の短絡的な欲求だけを通そうとする我ではなく,社会の規範や大人の目から見て,自分は今どんな行動をとるのが適切であるという判断をして,その状況に相応しい行動をとる自分,いわばコントロールのできる自分になることです。表現を変えれば「役割我」とも呼べるようなものです。
第4段階の誕生は「孤我」と呼べるもので,社会的な役割や責任を終了して,悠々自適の生活に入っていく時の自分の自覚です。孤独の個であると共に人生をまとめたり,永遠の世界を考える時期であります。今,団塊の世代が当面しているのが,この「孤我」の生き方の探求です。
生まれ変わるという誕生の時は大きな危機であります。キューボラ・ロスも言っていましたように,サナギが蝶になるような突然の変革であるわけです。そこには心理的にも危険にさらされるわけです。以前の安定した生活ではなくなり,自分で創り出していく世界へ突入するわけです。そこに不安と期待とが交錯して動揺するわけです。とくに若者は個我から自我に変化するとき,そして大人になる時です。二つの危機が前後してやって来ます。こども大人であったり,大人こどもであったりしながら変化していくわけです。これらは,どんな時代でも人間か成長していく過程に必然的に出会って克服する問題です。
こうした課題には,人間的な関わりが大切であることは言うまでもありません。若者にとって,友だちの友情が,大人の親身になった関わりが,大きな影響を与えることはいうまでもありません。西田哲学の「万燈,我を照らして,我を知る」と言うように他者とのかかわりを媒介にした自我の形成であるわけです。そして,自分をコントロールして社会的な役割と責任において行動をとる,社会我が生じるわけです。
次には,こうした変わらない人間成長の段階が定番としてありながら,若者の成長に大きくかかわる外側からの影響,つまり社会的変動がもたらす価値変化の影響について述べたいのであります。
これは,今日の講演のタイトルの副題にしたFromとToの変化を説明することにも通じるものであります。大雑把な言い方でありますが,経済の成長期には社会の規範は共通の価値観がありました。「大きいことは良いことだ」という経済価値優先,正解のある社会生活の基準がありました。これはしていけない,これはすべきだという価値基準が共通していました。社会の倫理的コードといってもよい行動基準に従っていれはよく,自分自身の生き方を自分で考えなくても,社会の基準から外れることがなければよかったのです。が,成長期から成熟期に変化していったとき,量より質をそれぞれに求めるようになり,社会の価値基準は個人の自由な生き方を認めるようになりました。いわば個人主義の時代になったのです。個人の自由意志の尊重ということと,個人の行動責任というように昔の生き方から社会規範が変化しました。
産業中心主義の時代には,若者は熱交換エネルギーとして重宝かられましたが,成熟時代に入るとそうではなくなりました。しかし,依然として人材の扱いですが。
若者を取りまく社会環境の変化過程は,外側から影響を与える社会的なもの,それにともなって内的な心理的な問題があります。それを列挙してみますと次のようになります。
第1は,家族環境の変化があります。昔は家族主義というようりも家父長主義でありました。3世代同居というような長幼序ありという時代でしたが,変化をきたして核家族から,現在では家族が世帯を構成することも困難な少人数になりつつあり,家族構成員がお互いの都合で一緒に食事をすることも少なくなっています。したがって,一人ひとりが独りぼっちのような環境に追いやられているといっても過言ではないでしょう。そこでは人間的な接触が以前に比べて減っておりますし,人格的影響をうける機会がなくなりつつあります。タテ社会構造の中で,親子三代の人間関係があった時代から,孤立的生き方が増えた家族環境に変化したことであります。
第2は,社会の制度の変化をあげなくてはなりません。民主主義の人間性尊重の思想が普及しました。その教育を受けて育った人たちが,わが国の人口の半分以上を占める時代になりました。社会制度も個人を中心に法律も変わりました。教育では自己実現(これは利己といった方が適切かと思うのですが),自分勝手で自己主張すればよいという理解になっています。個性の尊重という美名に隠れて,他人を省みない自分勝手な個性の発揮になりつつあります。社会福祉はどうかと言えば,法律の改正が家族や世帯の単位から個人に収斂されています。とくに,介護の問題などは家族や世帯を無視した法律になっていますし,個人がしっかりしていることを前提にしていますから,自分をはっきり自己主張しなければ,見放されてしまうことになっています。主体性を明確にして,自分の主張をしないと生きられない時代に変化したわけです。しかも,IT情報社会になりました。社会の構造は機械的な操作によって個人単位に仕組まれています。
第3は,地域社会の変化です。従来ですと,運命共同体的意識がつよくあって,ご近所のソーシャル・アンクルというか,隣り近所の人たちによって子供たちも育っていった社会でした。それが今では無くなりつつあります。隣りは何をする人ぞ,という関心ももたなくなった時代になっています。かってのような季節循環型の農村タイプの長老支配の共同体の連帯意識はなくなりました。それぞれが勝手に生きていく時代です。人間関係の接触が不足してネット・ワークの無機質な関係の中へと個人が追い込まれている時代です。その中での個人は自己保存型というか,自分を守ることに専念せざるを得ません。つまり利己的にならざるを得ませんし,また,自分を主張しないと社会からネグレクトされてしまいます。しかし,自分をはっきり主張もできないし,まごまごしていては置いてきぼりになってしまいます。そのジレンマが今の若者にもろにかぶさってきていると思います。
第4は,労働観の変化をあげたいのです。かっては「働かざるもの食うべからず」というような,逆に生きていくためには働かないといけない時代でした。賃金を得るための労働でした。しかも,若者を必要とするエネルギーを求めていました。働くことの内容が身体的な労働が中心でありました。お金を儲けるためには働かないといけなかった時代でした。今は,働くことを通して人生の幸せを求めています。Welfare
To
Workの考え方の必要な時代です。人間福祉的理解があってこそ労働の意味があるというわけです。この点が今,若者が体得する必要があるのです。しかし,大人の労働観は昔のしっかり働かないとお金が入らないのだよと,説得していることが多いのです。そこにややズレがあるわけです。若者は働かないでも生活できる今の時代に育っていますから,どのように労働への道筋をたてるかがわれわれの課題であります。
このように,社会的な環境の変化は,育っていく若者にはもろに影響を与えてしています。個人主義を標榜されながらも,個人の主張ができるようには未だなりきっていない,またそれを支えるだけのバックアップも出来ていないのが現在の問題であります。
内的な心理的課題をとりあげてみますと,1)人間関係の接触経験の不足があげられます。人との出会いが少なく,経験が不足のまま成人しつつあるというところで,社会的耐性,我慢づよさ,幅のある人付き合いがなかなかできないでいることが多いのです。引きこもり,閉じこもりの現象はこの傾向の一部で,自分を自分自身で守っている姿だと私は思うのです。
2)は友だちの不足です。学校や近所の友達ができにくいことです。友だちはホンネで語り合う人間関係が形成できる機会です。それが希薄になっていることです。さきほども述べましたが,少子化や家族の触れ合いの機会が少なくなったことも輪をかけています。同世代の友だちとホンネで対話をする機会が足らなくなっています。教師も地域社会も親も自分のために忙しいからと,親身になって対話の機会を作らなくなったことも大きな変化です。レンタル姉さんでホンネの人間関係を経験できるのでしょうか。本人のホンネにかかわっていく友だちが足りません。
3)はIT社会の無機質の人間関係です。認識パターンがデジタル,つまり二者択一というあれかこれかという白黒の選びです。この世界にどっぷり漬かっている若者には,あいまいさの中にある生き方や,人間関係はそんなにイエスかノーかに分けられないものがあることも経験できないまま,バーチャルとリアリティのごちゃまぜの世界を生きています。個人の確立にかかわりながらも,それを妨げている情報社会になっています。
このように,いままでの社会は社会的連帯をもって繋がりをもちながら人を育てていきましたが,現代では以前よりもさらに,若者がその主体性をしっかりとした自我の形成に立ち向かっていかなければなりません。そのための支援をしていく必要が今の大人社会が気付いていないように見えるのです。十分な援助が出来ていない現状があります。
4 若者自立塾の構想とニートの課題
10数年前,バブルがはじけて社会が混乱いたしました。倒産と失業が続出しました。その一つの対策に時の政府は「若者自立・挑戦プラン」(平成4年)政策を提唱いたしました。先程も述べましたように,当時は,イギリスのサッチャー政権を真似たように,市場経済至上主義の時代でありまして,その影響力は甚大なものでした。能率と短期的な経済的成果を求める時代でした。効率の悪いものは排除してきましたから,未熟練の若者の労働力は,即戦力に乏しく非能率的であると,うとんじられました。加えて,不景気がやってきましたから,雇用関係では,正規社員を減らしてパートや派遣社員が増大し,失業者も増えました。若者は就職口がなく,ロスト・ジェネレーション(失われた世代)と呼ばれたのでした。
イギリスでは政権が労働党のブレヤーに変わったら,若者を見直す政策が打ち出されました。青少年白書にあたるグリーン・ペーパーなどで,若者が働き,幸せに生活するための政策を提案して実行いたしました。「
Welfare to
Work」という標語の下,コネクションズという制度をつくり,学校,地域,行政,ボランティアと若者が共同協議をして,若者が働きやすい環境づくりと,支援していくための連絡調整を行う機関を設置しました。また,PAというパーソナル・アドバイザーという制度を新設して,若者の個人的な面倒をみる,いわばメンターのようなマン・ツー・マンで一人一人の生活の細やかな面までもお世話をするアドバイザー制度をとり入れました。その中に,働く機会のない仕事をしない教育の機会の乏しい若者として,ニート(NEET.
Not in
Education, Employment and
Training )という言葉が用いられていました。
イギリスでは若者を支援する伝統的なボランティアの活動がありました。19世紀の産業革命の混乱期に若者の救援に立ち上がった有志団体の活動がありました。それが国の政策として「ユース・ワーク」を位置つけていましたが,さらに第2次世界大戦後には,若者に対して,より積極的な支援策を打ち出したわけです。世に有名なアルベマール・レポートは,若者たちへの教育と福祉の政策指針を具体的に示したものでした。私は1960年代の後半にイギリスにおりまして,ミルソン(Milson,
F.)
というユース・ワークの専門家の下で在外研究員として共働していました。彼はイギリス政府に70年代の
Youth and
Community Work
についての提言をまとめた委員長でしたので(これをミルソン・レポートと呼ぶ),それを日本に紹介いたしました。そんな機会に巡りあったので,旧労働省の婦人少年問題審議会の委員(少年部会長)をしたり,勤労青少年ホームや働く若者への施策提言などをしていましたので,新しい時代のあり方に注目をしていました。
こうした内外の動向を見倣って,政府は平成14年(2002)には,「若者自立・挑戦戦略会議」を文部科学省,厚生労働省,経済産業省,内閣府が中心になって,教育・雇用・産業教育の連携を強化して,官民一体となった若者対策が発表されました。そして,その実行プランは,ジョフ・カフェやサポート・ステーションなどの名称で実践されて来たわけです。
私の関心は,若者は人格形成期にあり,生まれ変わる危機時代であること,一人ひとりの人格にかかわることが,ユース・ワークだと思っていますから,どんなに数字で若者のことが論じられても意味がないと思っていました。とくにこの若者自立・挑戦プランのアクション・プランには,統計調査や対策提言のための資料集めで終わってしまうことになるのではないかと言う懸念がありました。
そんな時に合宿による「若者自立塾」という発想を相談される機会がありました。NPOのボランティア団体などが行っている前例もあって,厚生労働省のキャリア形成支援室の方から相談を受けました。最初は自立塾のような教育的機能をもった政策は,文部科学省の仕事ではないかと思いました。キャリア形成の仕事は職業人としての能力技術を修得することに焦点を当て,雇用に結び付けていきます。キャリア・コンサルタントの養成もしているところですから,ベテランの人たちでした。中でも担当の方は非常に熱心で,私は心を揺さぶられました。行政主導の対策はおおよそ提言で終わります。大したことが出来るわけがないと思っていましたが,提案の骨子を聞いていましてニートに必要な内容であること,説得力のあるお人柄に揺さぶられました。私は心が動きました。若者を愛している人であること,国の将来を憂慮されて発想されていること,自分もやってみたい仕事であることなどが心に去来しました。もともと,私は教育者,グループ・ダイナミックスの社会的適用としての合宿研修,Tグループ,センシティビティ・トレーニング,エンカウンター・グループというパーソナリティの教育的支援をする方法論を勉強してきましたので,青少年のリーダーシップ啓発にもかかわっていました。それでお話を聞きながら,合宿の共同生活の教育実践を通して,就労に結び付ける実践力を発揮して見たいという気持ちに変化しました。その時,私は係の方に言いました。「若者自立・挑戦のアクション・プランの中でも,若者自立塾はフットボールの『中央突破』をするような正面から果敢に挑戦していく社会的実践ですね」と。臨床心理の側面から見ても,「冒険的」な施策に見えましたが,役所の縄張りなどを気にせず,やれることからやっていくという意気込みに圧倒されました。そして,担当者の情熱に感動して自立塾創出委員会の座長を引受けました。年齢的にはもう第2の定年も終わった私でありましたが,私の過去の経歴や年長者であることも考慮に入れられたのでありましょう。
私が若者自立塾の創出の委員を引き受けた理由にはもう一つあります。若者自立塾の構想は,日本の青少年教育の伝統である共同生活の教育理念の継承に繋がっていると感じたからであります。それは昔から庶民の「若衆宿」や「塾」教育が,明治の近代化に大きな貢献をした実績を知っていたからです。共同生活をしながら,マン・ツー・マンの教授・学習の成果が時代にマッチして,大きな花が開いたからであります。塾風教育として有名な吉田松陰の松下村塾,緒方洪庵の適塾や薩摩藩の郷中教育などが代表的ですが,そこに流れている教育のコンセプトは師弟同行の友愛教育です。合宿という生活共同体のプロセスの中で各自が協力し合って,問いかけ合い,学び合う体験学習が身につくというわけです。プロセス中心の体験学習法です。いわば,食べる,遊ぶ,話す,働くという行為を総合的に上下の隔てなく体験する,共同合宿生活のプロセスの中から自覚的に学んでいくという,学習者中心主義の生活教育です。ジョン・ディューイの「Learning
by Doing
」という学習者の経験中心主義教育の理念にも通じるものです。これは二宮尊徳が提唱した「芋こじ」方式であり「バレル」研磨というような,相互の人格が触れ合うプロセスが成長や変化を及ぼし,自立意識と向上意識を醸成させていきます。その醸成する学習の触媒作用を引き起こすのがリーダーというか,塾頭ですし,チューターと呼ばれる指導的立場にある人たちです。自立塾の教育にはこうした伝統的な日本の教育が継承される,という期待があります。
5 「若者自立塾」の現状
若者自立塾推進事業は,平成16年(2004)に発表され,翌17年度から事業が開始されました。当初は20団体でしたが,現在は全国に30団体が活動を続けています。
塾生募集のパンフレットには次のような説明をしています。「若者自立塾とは,相当期間,教育訓練も受けず,就労することもできないでいる若年者の方に対し,合宿形式による集団生活の中での生活訓練,労働体験等を通じて,社会人,職業人として必要な基本的能力の獲得,勤労観の醸成を図るとともに,働くことについての自信と意欲を身に付けることにより,就労等へとつなげることを目的としています」というように,自立塾の目的と方法とをうたっています。
若者自立塾の学習は,各塾の教育方針によって行われています。中央からのコントロールをするというような規制は一切ありません。各塾の教育方針を尊重した学習訓練の展開をしています。しかし,そこには共通したコンセプトと言いましょうか,通底奏音のように共通項があります。そのコンセプトは信頼(Trust),学習(Learning),
仲間(Associate),挑戦(Challenge)
の4つを置いています。
信頼は,人間関係のきずなの基本となる信じ合える実感をもつことであります。引きこもったり、親や社会との関係を断っている人は,人を信頼しきれないために孤立していることが多いのです。他人を信頼できない,ましてや自分自身も信頼できないという状態の中で身動きがとれない状態になっています。そこを破ることが第1の努力です。信頼することは表面上の小手先の人間関係技能でできるものではありません。若者に信用されるような存在として,こちらから問いかけることを通して,相手が信頼してもよいかなあと心を動かしてくれることができてから,信頼関係の萌芽が育っていくのです。それはホンネの付き合いができなくては不可能です。人間関係の基本の基本が信頼される,信頼し得る関係を形成する努力であると言えましょう。自立塾のはじまりは,若者を信頼しきって問いかけ,ホンネで関わり勧誘して塾に入ってもらうことであります。塾の生活に入るといろいろな人がいること,リーダーの生き方も鏡のように若者には写ります。それがきっかけとなって自分を振りかえる機会が与えられることが多いのです。
学習は,生活の基本である規則にしたがって生活をすること,社会生活の基本を学習すると言ってもよいのでありましょう。昼夜逆転の生活習慣を改変すること,例えば朝起きると顔を洗う歯を研くことから,部屋の整理整頓というような日常生活の習慣を身につけることから学びます。そして塾生同士の相互交流の場や協力作業を通して,対人関係のコミュニケーションを体得し,生活習慣の改善と対人関係の改善を図っていきます。さらには新しい生活習慣を学ぶ機会を得る意欲がでてきます。そうすると,新しい技能の体得や知識の修得への好奇心が湧き上がり,学習意欲が向上していきます。
次が仲間づくりです。人は一人で生きているのではない,お互いが支え合って生きているという実感は,合宿生活を体験しながら身体で了解するものです。仲間は相互の信頼を築く一歩であり,自分の損得を超越して信頼関係ができるとともに,友情が育まれてきます。いわは情緒的連帯が醸成されるわけです。人間連帯の体験であり信頼の構築です。
挑戦は,未知への冒険心をもつことです。未だ知らない世界へすすむ勇気であります。今まで身についた合宿共同生活の体験から,新しいものへの挑戦,未知への冒険を試みる力を発揮することです。仕事につくための探索も,資格を取得する心構えも,ハローワークへ出向いていく勇気も,自らの自発的な選択によって行動をとるようになることです。いわば社会生活への準備としての心構えです。
このように,信じて,学んで,仲間づくりをして挑戦していく勇気をもつこと,そして成長と変化をもたらすことに期待するのが,自立塾の相互学習のコンセプトであります。
6 「若者自立塾」の課題
若者自立塾は原則的には3か月の合宿生活で,まず今までの生活から脱皮することを図り,リズムのある生活をする習慣へと変化すること,そして共同生活の中で他人との交流を通して自分を見つめ直す機会をもつこと,協力する体験を通して自分も役立つことを知ること,さらに共に汗を流して働く体験をすることで,仲間や指導者との触れ合い,生き方の発見や,生活の改善を自ら図るようになっていくのです。そして,就労につながる資格や技能を取得することなどの学習をします。とくに就労に結びつく対人面接のコミュニケーションの能力を磨いて準備をすることも大切であります。
こうした若者塾の活動は,発足して3年が経過しました。現在はどのような状況にあるかを見ますと,平成20年の1月末の統計によりますと,入塾者は1,736人,この3年間で卒塾した人は1,491人です。そのうち就労した人は全体の約60%になりました。閉じこもっていた生活,家から離れなかった人が,塾に来たというだけでもニートを脱皮したと考えられますが,それは塾生活の体験の結果とは言えません。しかし,全体を見まして就職,求職,進学,待機中という人たちを合わせると,全体の約86%になります。この数字はどう理解したらよいかと考えさせられるものですが,私は立ち直りをした人が多くいることを誇らしげに思っている一人です。統計的に表された数字では語りきれない人間の変化,それは一人一人にとってはかけがえのない人生の発見をしていく機会になったと考えるとき,一人の重みのある人生の転換が図れたと理解したいわけであります。
私が訪問した塾で,塾生と夜遅くまで話し合って感じたことは,塾生のモノの見方が変化したことを上げていました。家から出ないでいるときの自分と比較してみると,塾では他人の姿や他人から指摘されたりして,自分の生きていく意味を見出せるようになったという経験が一番多くありました。つまり自己認識が他者によって明確になったというか,フィード・バックの機会をもったことによって,自分の存在にも意味のあることの発見ができたということです。自分がもっぱら自分中心になってクルクル回っていることよりも,他人によって認められた,他人にも役立つ自分であるという理解ができたことによって,心に余裕が生じたという表現もありました。他人からのフィード・バックによって自分の社会的有用感,効用感とでも表現したらよいのでしょうか,いわばアイデンティティ(Identity)の形成に役立っている経験であると語ってくれました。
最近,私は卒塾して就労している人に面談しました。何人かある中で,29歳の男子の方の話をさせていただきます。彼は大学中退で,就職しましたがうまくいかないで,転々としているうちに,家にこもるようになり,散歩することを兼ねてゲームの本を借りに行くこと以外は自分の部屋で食事も運ばせたようでした。ときに乱暴して台所の壁を壊したり,親を殴りつけたりもしました。しかし,どうにもならない自分を塾の中で何とかできないかと来たわけです。終了しても直ちに就労ができませんでした。それで私がおります相談所に来るようになりました。そこで私を信用してくれたのです。親は自分を「日替わり価値」でなじる,と言っていました。それは素直に自分の欲求を受け入れてくれることもあれば,お前なんかは人間の屑だ,出ていけとなじられるので,何が何だかわからなくなって信用できなくなった,と述べていました。彼は私を信用するようになってからは,親には話せなかった過去のトラウマ(心的外傷)になっている事柄を話しました。そうした面談があって後,彼自身はハローワークにも行くようになり,現在では社会福祉施設の職員として採用されて働いています。最近はメールで,みんなから頼りにされていることが重荷に思っているようなことも知らせてきていますが,職場に定着しています。
自立塾の若者はすべてうまくいくとは限りません。今,述べたケースのような苦労の末にうまくいったと思われるケースもあれば,そうでない事も多くあります。むしろ問題を抱えて苦しむ若者たちと悪戦苦闘している塾の指導者の方々のご苦労ぶりが,私の心を痛めます。
7 大人の課題
最後になりましたが,今までの私の若者自立塾にかかわってきた経験から,いくつかの問題点をクローズ・アップして,大人からの若者たちへの支援をより積極的にしていきたいと思います。
第1に申し上げたいのは,若者を信頼して支援できる大人になることであります。若者は成長していくとき,成長の媒介者として大人の支援的役割が必要であります。パーソナル・サポートと呼んでもよいでありましょう。イギリスのPAのように,個人的支援を継続的に行える大人が必要です。今,団塊の世代が話題になっていますが,シニアー・ボランティアの団体を結成して,若者ニート・フリーターの支援をしていく活動を展開したいところです。キャリア・コンサルタントの5万人構想というのがあります。これも大いに活用して,若者に理解のある大人の支援を広げていきたいと思うのであります。
ただ,注意しておきたいことは,若者たちに大人の若い頃を押しつけて助言しても無駄であります。「俺の若いころはこうだった」と言ってしまえば信頼も何もなくなります。若者側の立場に立っていない大人の発言になるからです。そして,若い頃の仕事観や労働のつらさを語っても意味がありません。若者を信頼して,コミュニケーションがとれる大人であること。そうしてこそ,若者に問いかけ生きる支援をしていけると思うのです。
第2には,第1に関連して,NPOなどの支援団体の連携によって,行政府と一体となった支援対策の実施をしていく運動をしていく必要があると思います。若者自立・挑戦プランでも痛く感じたことですが,行政のヨコの連絡連携はなかなか難しいものがあり,どうしてもタテ割りの行政になります。それではよいプランも実行できません。統合的な纏まりと将来の目的を見据えて行うことが必要であります。せっかくよいプランができても単一の部課で,しかも担当者が交代すると十分に理念が浸透しないままに,一過性の青少年対策になってしまうのです。それでは理念がよくても実効がともなわないことが多いのです。そこで,時代環境が変化したことを踏まえて,NPOなどの支援団体と行政府や地方自治体などが一体となって,目先きの効果だけを考えるのではなく,長期的目標をもってすすめることです。そのためには,より広い見識と寛容さをもって纏まっていく必要があります。
第3には,現代の「労働観」を明確にしていく努力が必要であります。時代と社会価値そして生活が変化しました。われわれの世代は、働かざるもの食うべからず,というか汗をして生活のために賃金を得るという,賃金契約労働観で働きました。労働は人間にとって生活をしていく上での必要悪というものもありました。もちろん,今もそうでありましょう。しかし,今は働かなくても生きていける時代です。労働は必要悪という考え方では若い人には通用しなくなってきました。むしろ,働くことによってウエルフェアーになるという「われ,働くが故にさいわいな人生になる」というような,人生の意味は働くことから生じるのであるという理解が必要であります。このことが労働の哲学として確立していくことが望ましいのであります。
第4には,教育の問題です。私は日本生涯教育学会に属しています。生涯教育というのは,成人教育や家庭や社会教育を連想されるのが一般的ですが,そうではなく生き甲斐を見つめる教育と理解しています。生涯を「生き甲斐」と読んでいます。その視点から考えていきますと,今の時代に働くという意味についての教育が不足しています。
現代の学校教育は,やはり成人になるための準備教育が中心であります。読み書き算盤の時代と変化がありません。大人になって社会に出たときどんなにか役立つための教育を一生懸命にやっているという視点です。したがって子供にとってみますと,イヤイヤなのだけれども,大人になって働くために必要な準備の勉強なのだというとらえ方をしているのです。あまり現実には関心のないことを教えられているのです。
今の生徒,学生はアルバイトをしています。彼らの生活実態は労働と勉学が並立しているのです。アルバイトやパートの仕事が手段として勉学に勤しむという言い方をしても,生活の実態は両方が並立しています。そこに「働く意味」を考えていく教科が必要です。労働の哲学というような科目があって,その世代その世代にふさわしい考え方を形成していくことによって人間性が磨かれると思うのです。職場での人間関係,組織の仕組み,情報連絡のネット・ワーク,金銭感覚,整理整頓と礼儀作法,客との対応など,生活に生きた体験学習をしているのですから,それらを今ここで取り上げていく学習教育が必要だと思うのです。
たしかに学校カリキュラムには仕事や職業教育が増加しましたが,その大半は準備教育の視点です。インターン・シップもありますが,「いま,ここで」体感している働くこととは違っています。現代において,若者たちは勉強と労働を区別するのではなく,むしろ働くことを通して人生の意味,それは働く体験を通して出会った人との感激もあるでしょうし,労働の辛さもあるでしょうし,会計計算や経済的知識も増えるでしょうし,社会の仕組みを知っていく機会にもなっていくことでしょう。こうした経験を,その世代にふさわしく学んでいく方法で身につく学習が必要ではないかと思っております。働くことを通して学習することと基礎学力との統合化を図っていくことが時代的要請ではないかと思っております。
長時間にわたってお聞きいただき感謝申し上げます。
与えられました課題「ニートを中心にした日本の青少年問題について」,私は青少年期の心理的特徴と時代精神と言いましょうか社会規範の変化を含む激動の中で人格形成をしていく若者の姿を,ニートという視点から述べさせていただきました。そして,大人の支援すべき責任のあることをつくづく感じとっている次第です。
最初に私はこの講演の副題として
From
から
To
へと申しましたが,若者を過酷な労働からの人間性回復のための支援をしてきたものが,時代が変化して働くことが人生の意味をよりふかく理解ができ,幸せをもたらす真の福祉につながるのであることを,支援していく大人としての責任を果たしたいと述べたのであります。それぞれの持ち場でいま一歩前にすすみたいと思います。ご静聴を頂きましたことを感謝いたします。(了)
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